本田中家について|しかの宿 本田中家

登録有形文化財 /本田中家

本田中家は3代目清兵衛が文久年間(1861~1863)に建てたと伝えられ、木造切妻造り、2階建て桟瓦葺きの南北棟の平入り形式の建物です。鹿野地域の歴史的意匠の規範となっており2017年には国の登録有形文化財に認定されています。
町の宝として守り、活かしていくために旅人も町民も行き交う交流・滞在場所として2018年に「しかの宿 本田中家」が始まりました。

本田中家の見所1

玄関とミセの空間を支えるのは十文字に大きな梁が組まれている鹿野独特の建築手法です。大黒柱から大角(大梁)が伸びミセの間の真ん中直角方向に小角(横角)という梁を掛けて2階柱を乗せています。
この技術は応仁の乱の頃、京都から鹿野に移って来た宮大工が伝えたと言われており、その典型的な姿が本田中家で見られます。

本田中家の見所2

江戸時代から昭和40年頃までクドがあり、しかの宿では吹き抜けだった姿に戻し階段を設置しました。上部の壁、梁、小屋組等には江戸時代からの厚い煤が付着し風合いは年月を感じさせます。 本田中家では2017年、ドイツ・ライプツィヒの日本の家との交流で「てぶら革命」が催され、アートスペースとして展覧会・アートトークなどが行われました。その時のパレードに使われた「たまごパパ・たまごママ」を照明に使っています。

鳥大生が作った駐車場

鳥取大学工学部の皆さんが駐車場のレイアウトを設計し、大学で試験用に作ったコンクリート平板を使って施工も行いました。大学生の皆さんの思いが籠った駐車場です。

牛つなぎ石

昔庄屋であった田中家には、荷を積んだ牛馬が多く来ていたと思われます。その時に牛馬を繋ぐためにあった牛つなぎ石です。今も庭の片隅に鎮座しています。

玄関軒先

ファサードは二階の低い棟高の形状を残し、京風の千本出格子が道路側正面につき、屋根は越し屋根の付いた和小屋組です。正面の軒を支える腕木の持ち送りは海老虹梁のように曲げが深く、先端の拳鼻に近い彫刻を施し、側面に雲の文様を彫ってあります。

1階奥の間

客間として利用され床の間、付け書院があり、上座の正面には屏風が設置されています。奥の間は10畳のミセ、6畳の中の間から続いていて、開放すれば24畳となります。地域のコミュニティースペースとして活用されることを願っています。

洗面

正面に立派な枠の大きな鏡が設置されています。これは原田幸則先生が昭和2年にドイツから持ち帰り、旧鹿野小学校に寄贈したと聞いています。鏡に負けない洗面台をと考え、無垢材で作られた座卓の天板を使って洗面台としました。

脱衣場

鏡は田中家に昔からあったものです。また松のカウンターは、数年前の大風で倒れた鹿野城跡の樹齢400年の松です。鹿野の人にとっては思い出深い松の木を脱衣場・トイレのカウンター、内玄関の看板、階段室のネームプレートなどに使用しています。

掛け時計

播陽時計製造会社製の本四つ丸型で明治21年~23年の製造と考えらます。
ラベルにはDAINIHON TEIKOKU BANYAU TOKEI SEIZOKUWAISHA CLOCK MANUFACTURERSとあります。
しかの宿活用にあたり、ねじを巻くと動き出しました。ねじは約1日持ちますので、皆さんにねじ巻きをして頂き、新たな時を刻み続けることになればと思います。

箱階段

玄関からミセを見て正面の扉を開くと箱階段が現れます。昔から2階へはこの階段を上がっていたのだと思います。箱階段の引き出しを覗くと昔の思い出が現れるかも。

ラジオ

1958年~59年に作られた日立の最高級ハイファイラジオです。昔から田中家にあり当時としては高価な電化製品でした。
現在電源は入るのですが、音声は出ません。どなたか直していただければ嬉しいです。